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2011年2月 5日 (土)

甲山の猛虎

どうも高橋です☆

お久しぶりのイラストアップでございます☆

Obu3

武田二十四将の一人、兵部こと飯富虎昌(おぶ とらまさ)でございます☆

武田の赤備えといえば山県昌景が有名ですが、その元祖赤備えとも言えるのが、実兄であるこの虎昌。

武田家きっての重臣であり猛将。信玄の嫡男「義信」の後見人となるが、今川へ通じた謀反の首謀者として、義信共々処断されてしまった不遇の人です。

しかもその謀反を密告したのが実弟の山県昌景なのですが、これには諸説あって、虎昌自身が昌景に密告させた・・・という説が、私的にはロマンがあって好きな説です。

 

元々、今川家と武田家は同盟関係にあり、義信自身も今川家から妻をめとっていたのですが、桶狭間で義元が倒れた為その関係も危ういものに。

信玄はここぞとばかりに反今川体制をとりますが、義信からしてみれば今川家も今や身内であり、そんな事を許せるはずはありません。

加えて、腹違いの弟「勝頼」に目をかける父への不信感が、二人の対立をより鮮明にしてしまったのかもしれません。

日に日に義信の不満は募り、ついには謀反の企てを虎昌に相談するまでに、その気持ちは至ったといいます。

そして、その二人の間で板挟みになってしまう虎昌・・・

幾度も義信への説得を試みますが、義信の妄執は到底くつがえせるようなものではなかったのでしょう。

武田家への忠誠と、義信に対する情・・・まさにこの二つがとらせた行動が、「飯富虎昌に謀反の企みあり」と、実弟に密告させるという行動だったのではないでしょうか。

密告させた事で主家への謀反を止め、同時に飯富家にまで罪が及ばぬよう弟の手柄とし、自らが首謀者として処断される事で、義信をかばう・・・

ですが残念ながら、謀反に関わりありとして義信は幽閉されてしまい、その二年後には亡くなってしまいます。

己の死をもって全てを守ろうとした虎昌の想いは、義信に届いたのでしょうか。

 

ちなみに画像は、川中島合戦をイメージして描きました。

霧のたちこめる八幡原。

妻女山を駆け降りた上杉軍の後ろに迫る赤備えの金獅子。

第四次川中島合戦、ここに極まれり。

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コメント

職場からこんにちはw

武田も決して1枚岩ではなかったということですか。家康はあんまり謀反話聞かないですね。知らないだけかな?

ともあれこんなオッサンが背後から迫ってきているのでしたら、「謙信、後ろ、うしろー!」と叫んでしまいますなw

赤色がとてもイイ感じです。

投稿: ACU | 2011年2月 5日 (土) 11時24分

ちょっ、仕事中w

家康の謀反話といえば、本多正信とか石川数正なんかが有名ですかね。

面白いのが、この二人の行動が対照的な所です。

正信は三河の一向一揆の時に、一揆に参加する為徳川家を出奔。
家康と敵対しますが後に帰参が許され、以後、徳川幕府のブレインとして重用されます。

一方の数正は外交などに力を発揮した人で、三河の一向一揆の時、わざわざ改宗までして家康に忠義を示しますが、後に秀吉の元へと去っていきます。

この数正の出奔理由には諸説あるようで、外交をしているうちに秀吉の器にほれ込んだとも、高い俸禄に目がくらんだともあります。
が、私としては、秀吉の懐に入る事で秀吉側から外交を助け、後に徳川政権を迎える為の準備をする為に、あえて裏切りものの汚名を着た・・・という説に、これまたロマンを感じますw

やっぱり歴史はロマンですねw

長々と失敬^^;

投稿: 高橋祐 | 2011年2月 5日 (土) 16時06分

渋い! カッコイイ! 恐ろしい!!

しかしなんともなエピソード(;д;)

お、漢だ。
こやつ、OTOKOだ!!!!

脳内漢手帳に油性マジックで記録されました。

投稿: タクヒ | 2011年2月21日 (月) 22時48分

もしその漢手帳にジョー・ヒガシの名前が載ってたらソッコー消して下さいw

虎昌「・・・・・・・・・・・・ぐー・・・はっ!いかんいかん!寝てたっ!!」

なんか白目むいてたったまま寝てる絵にも見えますねコレw

投稿: 高橋祐 | 2011年2月22日 (火) 06時33分

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